平日の昼頃。「う…… ううう~…………」 ディミトリ・ゴヴァノフは手酷い頭痛で目が覚めた。 彼は今年で三十五歳になる。傭兵を生業とするロシア出身の男だった。 もちろん、軍隊での戦闘経験は豊富で、退役する時には特殊部隊にも所属していた。 最後の作戦で戦闘ヘリコプターをお釈迦にしてしまい除隊させられてしまった。 学歴もなく手にこれといった技術を持たなかったディミトリは、仲間に誘われて傭兵に成ったのだ。 それについては別に不満は無かった。彼は戦闘行動が無類に好きだったのだ。 上官が学士学校上がりのガチガチ芋頭から、諜報学校上がりのピーマン頭に変わるだけだからだ。(馴染みの酒場で出された、安っすい酒の二日酔いより酷いな……) 頭の側でグワングワンと鐘を鳴らされているような頭痛の鼓動が迫ってくる。 身体が強烈に重くなるのも一緒だった。何とか動かそうとするも一ミリも動いた気がしない。(うぅぅぅ…… ここはどこだ?) ディミトリは眩しそうに目を開けた。眩しいのは自分の頭上にある蛍光灯のせいのようだ。 だが、視界が定まらないのかグルグルと部屋が回っているような感覚に襲われている。 ディミトリは目を瞑った。(1・2・3・4……) 目眩がする時には、目をつぶって深呼吸しながら数字をカウントするのが有効だと兵学校で教わった。 これは砲弾が近くに着弾した時に目眩に襲われやすいからだ。 戦闘時の目眩は爆風や爆圧で頭を揺さぶられてしまうので発生してしまう。そこで軍は初期教練で対象方法を教えている。 自分の少なくない経験でも知っていることなので冷静に対処法を実践してみた。 何回か目をシバシバと瞬きしていると、落ち着いて部屋の中を見ることが出来るようになった。(……………… 病院!?) 白を基調とした飾りっ気の無い部屋。消毒液の匂い。まあ、病院なのだろうと納得したようだ。(六人部屋だけどオレ一人だけか……) ディミトリがベッドの中でモゾモゾしていると、病室の中に入ってきた看護師がひどく驚いていた。 そして、彼女は慌てて部屋を出ていった。しばらくすると医師と他の看護師を連れて部屋に入ってきた。(ずいぶんと顔が平ったい黄色い連中だな……) 彼らを初めて見たときの印象だった。 ディミトリはロシアのクリミヤ生まれだ。 自分が生まれた街には白人
「…………!」「!」「……!」「!!?」 医師の一団は何かを必死に話しかけているらしいが耳に入って来ない。まだ耳鳴りが酷いのだ。 わーんと唸っていて耳が何の音も拾わないからだ。もっとも聞こえたとしても言葉が分かるとも思えない。 そこでディミトリは耳を指さして頭を振った。 分からないと言ったつもりだったが、医者たちは筆記で何かを尋ねてこようとしていた。(やれやれ…… 仕事熱心だな……) 見せられても意味が分からない。象形文字は線で構成された幾何学模様にしか見えない。彼は首を横に振って目を背けた。 するとディミトリの目が制服を着た人物を見つけた。部屋の入り口の所に居る。(あれは…… 警備員か?) 彼に気がついたディミトリは直ぐに視線を外し、顔を向けずに目の端で観察する事にした。警備員というのは自分を見つめる人物は怪しいと決めつける職業だ。これは警官にも言えることだ。 それを無視して見ていた結果は、大概ややこしい事態になるのは経験済みだ。 自分が警備員や警察官に好かれないのはよく知っているつもりだった。(違うな腰に拳銃を装備してる…… 軍警か警備兵だな……) 腰の所の膨らみを見て、拳銃を携帯していると考えたようだ。 すると他の事にも気がついた。(ん? もうひとり…… 二人いるのか……) 部屋の入り口の外にも、もうひとり居るのを彼は見逃さなかった。(くそっ! 中国軍の捕虜になっちまったか……) ディミトリにとっては、東洋人イコール中国人である。多くの白人は中国人と日本人の区別は付かないのだから仕方がない。 そして、少なくない経験から自分は捕虜になっていて、現在は警備兵の監視下にあると思い至ったようだ。(随分と厳重な監視じゃないか……) ディミトリは厄介な事になったなと溜息が出そうになった。 だが、同時に疑問も湧いてきた。(……なんで、俺は中国軍に捕まっているんだ?) 自分が襲った麻薬工場はイラクマフィアの工場だったはずだ。作戦計画書にそう書いてあった。 そこはアフガニスタンで収穫されたケシをアヘンに精製する工場だ。 アフガニスタンでは米軍に見つかって爆撃されてしまう。なので、遠路はるばるシリアまで持ち込んで作っているのだ。 工場で作られたアヘンはヨーロッパやロシアに配給されるていると聞いた。 各国が躍起になって
(でも、ターバン巻いたヒゲモジャ連中しか居なかったよな……) 工場には中東の連中ばかりだった気がする。もっとも、自分が見聞きした範囲内での考えだ。 何か裏取引が関わって居る気がしないでも無い。最近の中国は政治的な影響力を拡大させたいのか世界中の紛争に首を突っ込んでいる。(生き残りが俺しか居なかったのか?) だが、単なる戦闘員である自分に価値が有るとは思えなかった。 製品には薬剤を掛けて最終処分し、生産設備は破壊するという簡単なお仕事だったのだ。 もちろん、お宝もタップリ有ると話は聞いていた。当日はチェチェンマフィアが取引に来ていたのだ。(頭痛が酷くなりそうだな……) 彼は政治的な話には興味が無かった。 引き金を引くのに政治は関係ないし、銃弾は政治を選んで当たったり外れたりしないからだ。(このクソッタレな世の中で唯一の平等をもたらす物だからな……) そう考えてフフフッと笑ってみた。彼は刹那的な生き方をする方だ。自分の人生について達観している部分もある。 日常的に人の生き死にに接しているからなのだろう。 ディミトリは自分の頭を擦ろうと腕を伸ばすと管だらけなのに気がついた。(何だっ! これはっ!!) 自分の手を見て驚いた。まるで老人のように細くなっているのだ。 そして、そこに無数の管やら電線が繋がれている。(丸でマリオネットだな……) 自分の身体が異様に重く感じるのは、食事をとっていないせいなのだろうと考えた。(これじゃ、近接戦闘は無理っぽいな…… 逆に制圧されてしまう……) 子供の頃から空手を習っていた事もあり、格闘戦は彼の得意分野のひとつでもあった。 ところが、目の前にある自分の手は枯れ枝に指が生えているような感じなのだ。 これでは相手をぶん殴っても逆に折れてしまいそうだった。(随分と長い事入院していた様子だな…… まあ、爆発に巻き込まれれば無理ないか) 入院していると痩せてしまうのはよく聞く話だ。ましてや大怪我をして動けないとなると筋肉がみるみる内に無くなっていく。 何しろ食事をしっかり取れないことが多く、ほとんどが点滴で栄養を流し込んでいるだけなのだ。 ディミトリも戦友を見舞いに行くことが多いが、連中が退院した後に苦労するのが体力の回復なのだ。(爆弾の爆風をモロに受けたからな……) 自分も体力の回復にどのく
目が覚めてから数日たった。 医者は相変わらずやってくるが何も喋ろうとしないディミトリに手を焼いてるようだった。 繋がれていた管は殆ど取り払われたが監視は付けられたままだった。 それでも部屋の中を彷徨くぐらいには回復していた。(まずは現状を把握せねば……) 特殊部隊に居た事もあるディミトリは観察し分析するのも得意な分野だ。 部屋の外を観察した結果。自分が居る病室は二階で有るらしい。 そして、住宅街の真ん中に病院は位置しているらしい事は分かった。(まず、ここを脱出しないと……) 脱出するためにはいくつかの問題点がある。 まず、自分が今着ているのは病院のパジャマだ。脱出して外を彷徨くには着替える必要がある。 民家が近いのなら洗濯物が干されているだろうから途中で拝借すれば解決するだろう。(かっぱらいなんてガキの頃以来だな……) そう思ってディミトリは苦笑してしまった。裕福な家庭の出身では無い彼は、貧民街と呼ばれる街で育った。 正直な者が損をする仕組みが根付いている街だ。当然、彼はそんな街が大嫌いだった。 大人になって正規兵・特殊部隊・用心棒・傭兵と、戦う職業を転々と渡り歩いたのも偶然ではない。 強さこそが自分の証明なのだと、その街で叩き込まれたのだ。 後は道中に必要な金銭をどうするのかとか、移動手段に必要な車をどうやって調達するかだ。 何より、今どこに居るのかが分からないのも問題だ。(まあ、細かいことは良い……) 些か、行き当たりばったりな計画だが、まずは行動を起こすことが肝心だと自分に言い聞かせた。(まず、優先すべきポイントはここを脱出する事だ) 自分が目を覚ました事が軍の上層部に知られるのは時間の問題だろう。 そうなれば自白させるために拷問が待っている。 それだけはまっぴらごめんだとディミトリは思っていた。 ふと、見るとベッドの脇に小さな小机みたいのがある。普通そこには着替えなどが入っているものだ。 ディミトリは何気無く開けてみた。すると、そこには自分用と思われる着替えが収まっていた。(よしっ! これに着替えれば何とか脱出出来るかも知れない……) 嬉しくなったディミトリは早速広げて見た。だが、すぐに意気消沈してしまった。 小さすぎるのだ。自分の戦闘服が入っているかも期待してただけにガッカリしたのだ。(いや…
彼は人通りの多い大きい道路では無く、並行して繋がっているらしい住宅街の道路を歩いていく。 病院を抜ける時に人混みに紛れる必要はあったが、今はなるべく人目に付かないようした方が得策だ。 そう考えて住宅街をヒョコヒョコ歩いていた。まだ、上手く歩けないのだ。 そして、路地を曲がった所で地べたに座り込んでるニ人組が目に付いた。この手の連中は大概厄介だ。 金髪の男とヒョロヒョロの長髪の男。二人共に顔にピアスをしている。 ディミトリはチラッと見ただけで無視して通り過ぎようとしていた。「おい、お前っ!」「ちょっと待てよ……」 二人組が何やら言い出してきた。しかし、ディミトリは気にもかけない。ニ人組を無視して歩き続けた。「ガン付けてシカトこいてるんじゃねぇよ」「待てってんだろっ!」 なんだか意味不明な単語を並べながら二人共向かってきた。ディミトリィは揉め事は避けたかった。 そして、路地を曲がると走り出した。「待ちやがれっ!」 路地の入口を不良の一人が叫びながら曲がってくるのが見えた。(待て言われて待つ奴がいるかいっ!) ディミトリはそんな事を考えながら不自由な足を懸命に動かしていた。 身体が悲鳴を上げているのは分かっているが何とも出来ないでいる。ここで捕まる訳にはいかない。 だが、ディミトリは立ち止まってしまった。 奇妙なことに気がついたのだ。(あれ? なんで連中の言葉理解できるんだ??) ディミトリはロシア語を始めに欧州系の言語は読み書き出来る。だが、アジア系の言葉は馴染みが無い。 彼が知っているのは中国人くらいだからだ。(中国語なんて聞いたことも無いぞ?) そんな事を考えている内に金髪の男たちが追いついてしまった。「くっそチョロチョロ逃げやがってっ!」 そう言いながら先頭の男がディミトリの胸ぐらを左手掴み、右手で殴りかかろうと振りかぶった。 しかし、ディミトリはすんでの所で躱した。(ああ…… コイツ…… 戦闘経験が無いんだな……) ディミトリは躱しながら、そんな事をボンヤリと考えた。 彼の少なくない戦闘経験で胸ぐらを掴むなどやらないからだ。そんな手間かけずに殴ったほうが早い。 そして、金髪の腕が伸び切った所で腕を引っ張ってあげた。金髪の彼はそのまま勢いを付けて転んでしまった。 少し拍子抜けしてしまった。 彼は
(なんだコイツラは……) ディミトリは、今まで相手にしてきた狂犬のような不良たちとの違いにうろたえてしまっている。 だが、面倒な人種に思えてきたので、さっさと逃げだそうかと思った時に声が掛けられてきた。「お前たちっ! 何してるっ!!」 そう怒鳴りながら警察官たちが近づいてきた。どうやら喧嘩をしていると通報されていたらしい。 警察官たちは傍に来てディミトリと不良二人とに引き離した。 喧嘩の様子を双方に聞いていたが、二人組は一方的に殴られたと主張している。 しかし、喧嘩の様子を見ていた警官は、金髪がディミトリの周りでコロコロと転がっていただけなのを見ていた。 結果、不良たちは厳重注意されていた。 だが、自分をジロジロと見る警察官はどこかに無線連絡している。それからディミトリに尋ねてきた。「君は大川病院から勝手に外出した人だね?」 「……」 ディミトリは何も答えなかった。周りを警官に囲まれているし、何か迂闊なことを言えば自分が不利になる思ったからだ。「保護依頼が出ているから一緒に来たまえ」 「……」 警察官はそう言うとディミトリをパトカーに載せた。彼も大人しく従っている。 何故かと言うと警官たちは警棒すら手にしなかったからだ。 自分の今までの常識では、警官は拳銃を構えて相手を制圧するのが常だったのだ。 最悪の場合は近接戦闘戦になると覚悟していたが拍子抜けしてしまった。 もっとも、今の状態でディミトリが包囲網を脱出できるとは思っていないのは事実だ。 だから、大人しく言うことに従っていたのだ。 不思議な事に手錠を掛けられる事無く警察署に連れて行かれた。(なんだ?) 脱走した捕虜の扱いは大抵酷い目に会わされるものだ。そうしないと、再び脱走を企てるからだ。 四、五人で取り囲んで袋叩きにする。自分もされたことが有るしやったこともあった。 だが、彼らはそうはしない。(く、国によってやり方が違うものなのか?) ディミトリは益々混乱してしまった。 警察署に到着すると先程の警察官が、トイレを指さして言ってきた。「取り敢えずは顔を洗って来なさい……」 ディミトリはトイレの洗面所に入っていく。汗と血痕でひどい格好になっているらしかった。 洗面台の蛇口を捻ると綺麗な水が出てくるのに軽く驚いた。 シリアの基地
元の病室。 どうやら自分が今いる場所はダマスカス(シリアの首都)では無いとディミトリは理解したようだ。 ビルが立ち並んでいるのが見えていたので、勝手にそう思い込んでいただけだった。 そして中国でもない。もっと東にある日本という国なのだと知った。(違いが分からん…… で、どこだ?) ディミトリには中国も日本も新聞の記事でしか見たことが無い。なので、地理的なイメージが湧かないらしい。 だが、場所などはまだまだ些細な事だ。 彼はもっと深刻な問題を抱えている最中だった。(なんで、見知らぬ小僧の身体になっているのか……) にわかに信じがたい状態にあるのだ。 目が覚めたら自分が他人になっている。こんな話は聞いたことが無い。 しかも、困った事に自分は違う人間だと証明しようが無い事だった。 すっかり取り乱したディミトリは警察署のトイレで大声で騒ぎ出したようだ。 それを警察官たちはなだめるのに大変だったらしい。 やがて、興奮のあまり気を失ってしまったディミトリは病院に戻されてしまっていた。「じゃあ、君が覚えていることを教えてくれるかな?」 鏑木医師がディミトリに尋ねた。彼は入院した時からの担当医だ。 警察署での様子を付添の警察官から聞いた医師は心配事が増えたようだった。 しかし、具体性の無い質問を言われても分からない。「ナルト……」「?」 ディミトリは日本で知っている唯一の単語を口にしていた。 日本のアニメ好きの同僚が口にしていたものだ。 彼は忍者に憧れていたので武器の一種なのだろうと推測していた。「ナルト? ラーメンに入ってるヤツ?」「え?」 今度はディミトリが混乱してしまった。(ラーメンってなんだ?) 意味不明な単語に戸惑ってしまった。だが、ディミトリの腹が『ぐぅ~』と鳴るので食い物関連かも知れないと考えた。「ああ、アニメの方のナルトね……」「!」 ディミトリの戸惑った表情で、違う方の『ナルト』だと気がついた医師はアニメだと思ったらしい。 医師もアニメは知っているらしかった。きっと有名なのだろう。 その様子にディミトリは頷き返した。「アニメは好きなのかな?」「どうでしょう…… あまり覚えていません……」「ふむ……」 医師はカルテに何かを書き込んで質問を続けた。「自分の名前は?」「……」 まさか『ディ
「……」 もっとも、ディミトリにしても自分が置かれている状況が掴めていない。 そんな状況で下手な受け答えをして言質を取られてしまうと、後々拙い事になるのは良くある話だ。 沈黙が状況の改善をしてくれるのを彼は願った。 これが軍関係の尋問であるのなら簡単だ。自分の所属する軍と名前だけを答えていれば良い。 もっとも、尋問官は拳で語りかけることが多いので、無事で済んだ事の方が皆無だった。「記憶障害かもしれないな……」 医師は何も答えようとしないディミトリに匙を投げた。 取り敢えず、様子見と称して薬を与えて経過を見るに留めるしかないと判断したようだった。 医師は傍らにいる看護師に手で合図した。すると看護師は。「今、君の保護者がいらっしゃるからちょっと待っててね……」 そう言って看護師はニッコリと笑った。怪我をしてなければバーで一杯奢りたくなる笑顔だ。 しかし、ここは病院で自分は未成年の立場だ。見た目が小僧では相手にもして貰えないだろう。 彼女を口説くことが出来ないのを残念に思っていた。 ディミトリが警察署のトイレで、大声を上げながら騒いだので保護者が呼ばれたらしい。 看護師に案内されて一人の老婆が診察室に入って来た。 その老婆はディミトリも知っていた。よく病室に来ていたからだ。 来るたびに部屋の片付けや掃除をしてゆくので、病室の掃除の担当だと思いこんでいたぐらいだ。 医者の話では自分の祖母にあたるらしい。道理で愛想が良かったはずだ。「家族をいっぺんに失われて記憶障害が出ているようです……」 人間は辛いことが大きすぎると心を護るために、記憶を封印してしまう事があるのだそうだ。 ディミトリに出ている症状はそうなのだろうと医師は判断したらしかった。 医師は入ってきてディミトリの隣に腰掛けた老婆にそう告げていた。 老婆はウンウンと頷いている。彼女からすれば可愛い孫が無事だったら何でも良かったのかも知れない。 そして、事故の経緯や術後の経過観察などが説明されていく。 どうやらディミトリが入り込んでる少年の家族は、交通事故で全員が死んでしまっているらしい。 少年だけが重症だが助かったようなのだ。 どうりで目覚めた時に管だらけだったはずだ。(しかし…… 何故、こうなった……) 少年が病院にいた原因は分
廃工場。 二階の暗闇の中から現れたのは暴力団員風の男だ。 その後ろから一人の男が付いてきている。髪の毛を茶髪にして、耳にはピアスを付けていた。子分だろう。 ディミトリが睨み付ける中、短髪男は子分を従えて悠然と階段を降りてきた。「シカトしてんじゃあねぇよっ!」 自分を無視された売人は大声を出してきた。だが、ディミトリは短髪男を睨みつけたままだ。 本能が『要警戒』と告げているのだ。「まあまあ、コイツが若森って奴か?」 短髪男は階段を降りながら声を掛けてきた。何故かニヤついている。自分が優位に立っていると、思い込んでいる男にありがちな反応だ。恐らく懐に何かを持っているのだろう。 そして男はディミトリの顔を知っているようだった。(やはりか……) 名前も知っているという事は、中国の連中の仲間かもしれないと考えた。「大人しくコッチの質問に答えれば痛い目に遭わなくて済むよ……」 短髪男は懐からベレッタを取り出した。イタリア製の優秀な拳銃だ。 余裕が有ったはずだった。(ベレッタか…… 装弾数は十五発だっけ?) ディミトリが銃を見ていると、短髪男は遊底を引いて薬室に弾を送り込んだ。 恐らく、ディミトリが銃を見るのを珍しがっていると勘違いしたのであろう。玩具を手に入れた子供が粋がるようなものだ。「お前が知っている、お宝の有りかを教えて欲しいんだよ」「お宝? 俺の秘蔵のエロ本か??」「舐めんじゃねぇっ!」 馬鹿にされたと思った短髪男は床に向かって引き金を引いた。銃の発射音が室内に響く。空薬莢が床に転がる音が続いた。 急な事に女はビックリして悲鳴を上げてしまっている。「ちょっと、私関係無いんだけどっ!」 女が咄嗟に逃げようとして走り出した。そこを短髪男が発砲してしまった。引き金に指を掛けたままだったのだ。 素人が銃を持った時によくやる失敗だ。 女が急に動いたのでビックリして銃を向けてしまい。その際に引き金に力が加わったのだ。「ぐあっ!」 だが、運の悪い事に狙いが逸れてディミトリに命中してしまった。脇腹の辺りにだ。 万が一の事を考えて防弾チョックを着ていた。しかし、防弾用素材と素材の隙間にある、縫い目を弾丸は通過したようだ。 ディミトリが昔使っていた奴はそうは成らなかった。普通の防弾チョッキには縫い目など無い。 さすが中華製だ。
廃工場。 田口の車から一人で降りて工場の方に歩いていく。午前中と違うのは工場の敷地に入るガードは開けられているぐらいだ。 工場の正面にあるシャッターの脇に普通のドアがある。 ディミトリはノックすること無くドアノブを回して中に入っていった。それと同時にポケットに入っているレーザーポインターのスイッチも入れた。 工場の入口から中に入り、歩きだして五秒ほどで周囲の視線に気付いた。刺すような視線。猛獣が獲物を見定めるかのような視線という類のモノだ。(見張られているな……) 殺意の視線。それは、かつて戦場でスナイパーに狙われた時の感覚に似ている。ねっとりとした感触が戦場を思い出させた。(少なくとも四人はいるかな……) ディミトリに持つ全て感覚センサーがそう告げている。そして、全員を始末せよと言っているのだ。(良いねぇ……) まるで『建物全体が捕食者』みたいな感覚。ディミトリの神経が研ぎ澄まされていく。 工場の真ん中あたりに机が一つだけ置かれており。その前に男が一人座っていた。 コイツが売人なのであろう。視線が泳いでいる癖に眼付がやたらと鋭かった。「よお~……」 売人は陽気を装って声を掛けてきた。まるで古くからの知り合いのようだった。「金なら持ってきた。 女はどこだ?」 ディミトリは懐から金の入っている封筒を見せた。二百万入っているので結構分厚い。 男は工場の奥をチラリと見た。ディミトリが一緒に釣られて見ると金髪の女と顔中にピアスを付けた男が居る。 女の腕を捕まえているところを見るとコイツも仲間なのだろう。「女と引き換えだ……」 売人は奥のピアスだらけの男を手招きした。男は女を連れてやってくる。 この金髪女がカラオケ屋で擦れ違った女の子なのだろう。興味が無いので覚えてなどいない。「ほらよ……」 ピアスの男がぶっきら棒に女を離すと、ディミトリが持っている封筒を受け取った。 そのまま、封筒を売人に渡すと、売人は中身を確認し始めた。ピアスの男は売人には目もくれずにディミトリを睨みつけている。 女はディミトリの後ろで大人しく待っていた。 金を数え終わった売人はニヤリと笑った。全額有ったようだ。「ああ、金の確認は終わった……」「そうかい。 じゃあ、女は連れて行くよ」 それを聞いたディミトリは女を連れて帰ろうとした。「まあ、ちょ
大串の自宅前。 武器を捨てられてしまったディミトリは気を取り直して大串の家に向かった。(クソッ! せめて拳銃だけでも無事だったら良かったんだが……) 他にも減音器も捨てられていた。玩具の銃は壁に飾ってあるので、それと一緒に飾っておけば良かったと後悔している。 銃弾は別に保管していたので無事だ。筒状のパイプでも有れば単発式の発射装置が作れるが、工作している暇が無かった。 単純に筒に弾を詰めて、釘か何かで雷管をひっぱたけば良さそうだがそうは簡単にはいかない。 銃弾を固定してやらないと暴発して自身も怪我をするからだ。最低でも薬室を作ってやらないと駄目なのだ。 手持ちの武器らしい武器は自作のスタンガンとスリングショットぐらいだ。これでは心許ない。(致命傷は無理でも牽制には使える程度だな……) 無くなった物を惜しんでも手元には帰ってこない。それより目の前の問題をどうするかの方が大事だ。 しかし、ディミトリの少なくない経験から、ケチが付いた作戦は中止するべきとの教訓もある。(確かに中断するべきだが……) 何よりディミトリには気になる点があったのだ。(何故、俺を指名したんだ?) 取引自体がディミトリを誘き寄せる罠であるのは分かった。だが、何故面倒な真似をしてまで罠に嵌めるのかが謎だ。 それは罠を張った連中を確かめる必要を示唆している。(あの連中が罠なんて面倒な手間をかけるとは思えないんだがな……) あの連中とは鏑木医師を殺害した連中だ。中国語を話していたと思うので中国系と思っていた。 不思議なことに連中は、日数が経過しているにも関わらず手を出してこない。 鏑木医師の事を知っているのなら、ディミトリの事も知っているはずだ。 自分たちの存在が知られたと判明した時点で、自分なら対象の身柄を押さえる。逃げられてしまったら困るからだ。 だが、彼らはそうはしない。銃を持って襲撃するような連中だ。荒っぽい仕事には慣れているはずなのにだ。 これは何を意味するのか? ディミトリには四六時中見張りに付いている連中がいる。その彼らの前で仕事を嫌がっていると捉えていた。 そして、今回の連中は面倒な罠を用意している。これは自分を見張っている連中とも違う事を示唆しているはず。(つまり、今回の罠を張った連中は俺を監視している連中とも、鏑木医師を殺害した連中と
翌日。 ディミトリは祖母に具合が悪いので、病院に寄ってから学校に行くと伝えた。 心配して付いてくると言い張る彼女を説得して、一人で出掛けたディミトリは家電量販店に居た。 ここで小道具の材料を調達するためだ。今回はどう考えても罠にハマりに行くのだ。下準備無しで乗り込むほど自信家では無い。 彼が購入したのはレーザーポインターだ。それと玩具のリモコンも購入した。このリモコンでスイッチを操作するのだ。 レーザーポインターは名前の通りレーザーの強烈な光でポイントを示す物だ。普通に使えば便利な道具だが、カメラにとっては脅威となる代物だ。 レーザーポインターをカメラのレンズに向けて照射する。すると、カメラの中にある電子素子(LCD)は強烈な光で飽和してしまう。つまり、映像をまともに作れなくなってしまうのだ。 これは空き巣や銀行強盗などの時に、防犯カメラを無効にさせる為に使われる手口だ。本格的なやつは赤外線レーザーを使う。カメラに付いている電子素子(LCD)が早く飽和するからだ。 目的のものを入手したディミトリは、そのまま例の廃工場に向かった。前日に開けておいた裏口を通り、カメラが設置されている場所までやって来た。 そして、床に積もった埃に異常が無いのを確かめると、今度はカメラがレーザーポインターで狙い易い位置にやってくる。そこには埃だらけの元資材が積み上げられていた。 手のひらに入る程度のレーザーポインターなので隠すのは簡単だった。(よし、仕掛けは出来た……) ディミトリはレーザーポインターをダンボールの影に隠して学校へと向かった。どうせ使い捨てなので見てくれは気にしていない。 道具は役に立ってこそ意味があるとディミトリは考えていた。 午後から登校したディミトリは何事もなく過ごした。そして、下校時間になると大串の方から声を掛けられた。 大串は時間をずらされて焦っているようだ。そして、ディミトリが受け渡し場所に下見に行った事には気が付いてないようだった。「今日はちゃんと来いよ」「ああ、今夜は何時頃行けば良いんだ?」「夜の七時に俺の家に来てくれれば田口の兄ちゃんが車で送ってくれるってよ」 田口というのは子分の一人だ。クラスメートなのだがディミトリは初めて名前を聞いた気がしていた。「そうか、分かった……」 ディミトリは素っ気無く返事をした。
ディミトリは部屋の中央に進み出てみた。死角になる場所が有るかどうかをチェックする為だ。 するとシャッターの脇から二階に伸びる階段に気が付いた。(二階が有るのか……) そのまま部屋の真ん中に立って見回していると、ある物に気がついた。二階にカメラが取り付けられている。 角度的にも部屋を全て網羅しているみたいだ。(ほほぅ……) 階段を上がって傍に寄って見てみると真新しいカメラだった。まだ、設置されたばかりなのだろう。(まだ稼働はしてないみたいだな……) カメラに電源らしきものは入っていないようだ。触ってみても冷たいままなのだ。 ディミトリはカメラの側面に書いてあるメーカーの型番を控えた。家に帰ってから性能を調べる為だ。(俺を撮影する気か?) 防犯の為なら外に向けて取り付けるし、電源は入れっぱなしにするだろう。だが、室内の中央に向けて設置してある。 この工場に呼び出した人物を撮影するためだ。そして、それはディミトリである事は明白だ。(もしくは狙撃の補佐用……) 場所などのマーキングが済んでいれば狙撃の射角などが容易になる。 重要な対象を確実に仕留めるために行う狙撃方法だ。(狙撃兵か……) ディミトリはとある戦場の前線で一緒になった狙撃兵を思い出した。 ある時、狙撃兵が何かを目標に照準して撃っていた。(休憩中なのに仕事熱心な奴だな……) 仕事熱心な狙撃兵にディミトリが質問した。『何を狙っているんだ?』『空き缶を狙っている』 彼はそう答えた。 ディミトリが見ると百メートル程先に空き缶が並べられていた。『……』 もう少しまともな物を狙えば良いのにとディミトリは思っていた。 彼は狙いを付けた物を外さないからであった。『今度の狙撃大会で優勝して後方任務にしてもらうんだよ』 そんなディミトリの思惑を感じ取ったのか狙撃兵が話を続けてきた。 彼は狙撃大会に出場して優勝するのを目標としているようだ。技量優秀な者は後方任務で温存してもらえる。宣伝に使えるからであった。『なら、あの野良犬を的にすれば良いんじゃないか?』 静止した的と動いている的では難易度に違いが出てしまう。練習をするのなら難しい方が技量向上が望めるはずだからだ。 そう思って彼に提案してみたのだ。『それは駄目だ……』 ディミトリの提案は、にべもなく断られてし
廃工場。 ディミトリは背中のバックから暗視装置を取り出した。 鏑木医師の所で収穫した物だ。使い勝手の確認も兼ねて持ってきたのだ。 バックの中身は他にガン雑誌も入れてある。万が一の時にはミリタリーマニアを装う為だ。 ディミトリは暗視装置を頭に付けて電源を入れてみる。 収奪した後に一度だけ試してみたが、昼間だったせいなのかピンと来なかったのだ。 そして、思っていたより鮮明に見えるので驚いてしまった。(最新型なだけ有って建物内の様子が鮮明に見えるな……) 兵隊時代に使っていたものは、ロシア製の重くて使い勝手が悪い物だった。それと比べると雲泥の差がある。 手袋をした自分の手を映しながら握ったり広げたりしてみた。 ロシア製の物だったら真ん中が明るくて端っこが暗くなってしまう。ところが、使っている中華製の奴は全体が均一に明るいのだ。もっとも、中身の日本製の部品で実現出来ているのをディミトリは知らない。(ふむ…… 時代の進む速度が凄いもんだな……) とりあえずは、取り残されないように気を付けないと、中身が三十五歳のディミトリは思ったのだった。(さて、人の気配はしないし奥に進んでみるとするか) 気を取り直したディミトリは足音に気を付けながら進んでいった。工場の中は耳が痛くなるような静寂に包まれている。 聞こえるのはディミトリの息遣いだけなのだ。 裏側から入ったからなのか廊下には小部屋が並んでいた。 元は工場だったので様々な作業を部屋ごとに行っていたのかもしれない。(まあ、良くある配置だな……) その中の一室には錆びたバーベキューコンロが部屋の中央にあった。結構、使われていたのだろう。炭などが残ったままだ。 脇には調味料たちが無造作に置かれている。さすがに今はもう使え無さそうだとディミトリは思った。(浮浪者が入り込んで生活してたっぽいな……) 部屋の隅に有る薄汚れた布団を見ながら考えた。そこには元の住人が捨てていったらしい衣類などが積まれている。 だが、布団に薄っすらと掛かっている埃の具合から見て、長らく使用されて居ないものと判断出来た。 その隣の広めの部屋は焦げ跡がアチコチ付いている。 空き缶とかも落ちているので、DQN達に花火でもされた跡であろうと推測した。(室内で花火って何を考えていたら出来るんだ……) 外でやると目立ち過
「ははは、そのうちにな」「ああっ!」 ディミトリは彼から不要になったモデルガンの空き箱を調達したのだった。その空き箱に分解した武器をしまってある。 こうしておけば気付かれること無く秘匿出来ると考えていたのだ。(うっかり触って暴発でもしたら怪我させてしまう……) 祖母が本物と玩具の違いを、理解できるとは考えにくいが万が一の事を考えたのだった。(まあ、組み立ては一分も有れば余裕で出来るし) 咄嗟の事態に対処出来ないが、武器を剥き出しで持っているよりは安全だろうと考えたのだった。 夕方になり早めの夕食を済ませたディミトリは、ランニングに行くと言って出掛けた。行き先は現金受け渡し場所の廃工場だ。 地図によると自転車でも一時間はかかる。早めに下見を行っておくことにしたのだ。 廃工場に到着したディミトリは道路を挟んで観察を始めた。工場はフェンスに周りを囲まれている。高さは二メートル程。 正門の扉は閉まっていた。工場自体は町工場を少しだけ大きくしたような印象だ。さほど大きくは無い。「あれか……」 ディミトリは場内を単眼鏡で中を観察し始めた。いくら無人だろうと思っても、防犯カメラくらいはあるだろうと踏んでいた。 しかし、それらしきものは無かった。それでも正門から入っていくのは止めにした。 まずは、潜入して中の様子を頭にいれる方が良いと判断したのだ。 道路の反対側に面した建物の窓から入ることにした。中を覗き人の気配が無い事を再び確認したディミトリは、閉まっているのに気が付いた。(くっそ…… ガムテープも無いしどうしよう……) 防音の為にガムテープを窓に貼り付けてガラスを割る手法がある。音もしないしガラスが飛び散らないので便利なのだ。 ディミトリは他の入り口は無いかと付近を見回した。(ん? あれが使えるかも……) ディミトリの目線の先に有ったのは制汗スプレーだ。近くに女性物のポーチが有るので誰かが落とした物なのだろうと考えた。 振ってみると少しだけ音がする。埃にまみれて古いようだが中身がまだあるようだ。(よしよし……) スプレー缶のガスはブタン・プロパンなどを主成分とした液化した可燃性のLPGガスが多い。 ディミトリは窓の鍵が有る部分に、スプレーを噴射したままライターで火を着けた。スプレーのガスで出来た炎は窓ガラスをメラメラと炙った。
「要するに大串のフリをして、売人に金を渡せって事か?」「ああ」「結構な金額になるだろう」「ああ、金なら用意する……」「……」「二百万程度だ。 俺の小遣いでどうにでも出来る」 ディミトリは自分の境遇が馬鹿らしくなって来るのを感じていた。二百万程度と言い切る中学生がいるのに、こちらは小遣いをやりくりしながら凌いでいるのだ。「タダじゃやらないぞ?」「十万くらいならお前にやるよ」 ディミトリは目を剥いてしまった。どこの国でも金持ちのボンボンは価値観が違うものだ。 まるで違う世界に生きているようなのだ。 それでも、ディミトリは引き受けるつもりだ。(そうか…… その売人をどうにかすれば、二百万が手に入るのか……) ディミトリは密かな企みを思いついていたのだ。 薬には興味無いが、金には大いに関心がある。何故なら渡航費用の一部に出来る。「金の受け渡し場所はどこだ?」 大串は川沿いにある倉庫を言ってきた。使っていた会社が潰れて無人なのだそうだ。 ディミトリはスマートフォンで地図アプリを呼び出して場所の確認をしてみた。周りに人家は無く、中小の工場が多い場所だ。 きっと、夜間には無人になっている事だろう。「それで金の渡しはいつやるんだ?」「今夜だ」 随分といきなりの予定でディミトリは面食らってしまった。「それは駄目だ。 俺には用がある」「え?」「塾が有るんだからしょうがないだろ」 もちろん嘘だ。ディミトリは受け渡し場所の下見に行くつもりなのだ。 行き当りばったりで実行しても、上手くいかないのは知っているつもりだ。これまでにも散々痛い目に遭っている。「金額が大きいから引き出しに時間が掛かると言えば良いだろ?」「ああ、分かった……」 今度は武器も有るし下準備の時間も有る。上手く行きそうだった。 大串との会話を終えたディミトリは教室に戻ってきた。大串たちはディミトリが代役を引き受けたので安心したようだ。 何度も礼を言ってきた。(乱暴者を装ってもヤクザ相手はキツイって事か……) そんな事を考えながら教室に入っていく。するとクラスメートの田島人志が話しかけてきた。「よう、まだモデルガンの空き箱探してる?」「いや、飾りたかっただけだから足りているよ」「いつでも言ってくれ、新しい奴は取ってあるからさ」「ああ、分かったよ。 あり
「それでクスリの売上が無くなったから、地廻りのヤクザへの上納金が用意出来ないと激怒してるんだよ」 薬物の販売はどこの国の犯罪組織にとって主要な収入源だ。自分の縄張りで商売を許す代わりに、上納金を要求するのは当然であろう。 そして、彼らは上納金の滞納は決して許さないものだ。必ずケジメを要求される。最悪の場合は自分の命だ。 だから、売人は激怒しているのであろう。「お前さんの彼女なんだろ?」「ああ、だから何とかしてやりたいんだけど……」「けど?」「俺の兄貴が警官やってるんだよ」「だから、それがどうした?」「揉め事を起こすと兄貴に迷惑がかかっちまう……」「お兄ちゃんが好きなんだ?」「ちょ。 か、か、関係ねぇよ」 大串が顔を真っ赤にしてしどろもどろに成ってしまった。ディミトリはニヤニヤしている。「お前の子分にやらせれば良いじゃないか?」「コイツラは顔が知られているから使えない」 大串は彼女を迎えに行く時に、自分では無く子分に行かせたのだそうだ。 その時に、クスリ云々を聞いてきたのだそうだ。「いや、若森ならこの手の話に慣れているような気がしてな……」「何で、そう思うのよ…… 俺は品行方正な男子中学生だぜ?」 ディミトリはすっとぼけた事を言い出した。 元々、中身が三十五歳という事も有り、中学生とは話が合わないので関わらないようにしていたのだ。 だから、真面目な中学生のふりをしているのだった。「お前が家に来たことが有っただろ?」「ああ」 追跡装置の所在を確かめる為に、大串の家を利用させて貰ったのを思い出していた。 上半身に有るのか、下半身に有るのか分からなかったからだ。 軍に居た頃なら検査機器で直ぐに判明する。だが、今はそうではない。 ディミトリは知恵と工夫で事態を乗り切って来たのだ。「あの後に警察が家に来て、お前のことを根掘り葉掘り聞いていったぞ?」「へえ」「何やったんだよ」「お前には関係ない。 俺の事には構うなと言ったはずだが?」「品行方正とやらの中学生を、警察が調べるわけがあるかい」「……」 大串は屋上のフェンスまで行ってディミトリを手招きした。 ディミトリが大串が示す方向を見ると白い普通車が停まっている。中には二人組の男が座っていた。 ポケットからスマートフォンを取り出し、カメラ機能を使ってズームアッ